ルワンダを歩く

2017年8月14日 ルワンダ・キガリにて

「大量虐殺」

ナチスのホロコースト、カンボジアのキリングフィールド、そしてルワンダ。

この三つは世界を周るのならば絶対に訪れたいと考えていた場所だ。

アフリカに来る前は大陸の真ん中にあるルワンダにどうやったら辿り着けるのか、本当に訪れることが出来るのか不安であったがとうとうここまでやってくることが出来た。

ここルワンダは自分がアフリカ大陸の中で最も訪れたい、訪れなくてはならないと考えていた場所である。

1994年4月6日からたったの約100日間の間に50万人~100万人(全国民の10%から20%)の人々が虐殺された。

欧米による植民地化が進む前、ルワンダには様々な民族が混在して暮らしていた。

農耕に重きを置き、黒い肌に平らな鼻と厚い唇、四角い顎をもつフツ族。

牧畜に重きを置き、薄めの肌に細い鼻、薄い唇にとがった顎をもつツチ族。

ルワンダは主にこの二つの民族が住む土地となった。(トゥワ族という民族もいるが数は少ない)

とはいえフツとツチは宗教、言語、文化に差異はなく、互いの民族間で婚姻もなされている。

このことからもともとは同一の民族であり次第に牧畜民と農耕民へ分化したのではないかとも考えられている。

この二つを大きく分けることになったのはベルギーによる植民地化である。

ベルギーは痩せ形で背も高く、ヨーロッパ人に近い容姿のツチ族を経済的にも教育的にも優遇した。

1933~34年にはすべてのルワンダ人をフツ族、ツチ族、トゥワ族に分類。人種が記されたIDカードを発行する。

ほとんどのフツとツチはそれでもまだ良好な関係を保っていたが、国民には差別意識が叩き込まれかつて統一されていた国家は急激に崩壊していくこととなった。

そして経済的な差が年月を経るにつれて政事的にも反映してゆき、裕福なツチ族はルワンダの内部でも重要な地位を占めるようになってゆく。

たまりに溜まったフツのツチに対する憎悪はハビャリマナ大統領の乗った飛行機がミサイル攻撃を受けるという暗殺事件によって弾けることとなる。

大体の流れはこんな感じらしい。虐殺に至るまでの経緯にも多くの要因があるので気になった人は是非とも詳しく調べてほしい。

急に起こったことではなく、重火器の調達や虐殺対象者のリストアップなど用意周到に計画されていたという面もあるそうだ。

ここキガリには虐殺の歴史を忘れてはならないと記念センターが建てられている。今日はここを訪れることにした。

宿からバイタクを広いセンターへ向かう。

ルワンダのバイタクの兄ちゃんたちは本当にみんな愛想がいい。ぼったくってこようなんて輩は全然いないし。

そしてルワンダはヘルメットの着用が義務付けられている。このあたりも進んでいる感じがした。

バイタクから眺める町の風景は平和そのもので本当に虐殺があったなんて信じられないほどだ…

キガリ虐殺記念館は丘の上に建っている。ルワンダは丘が多い国としても有名だ。

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丘から見る中心街。

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入館は無料で寄付を募っている。オーディオガイドが15ドル、写真撮影には20ドルかかる。

ということで写真はありません。旅も終盤となり今は本当にお金が厳しいのだ…でも今となっては20ドル払えばよかったなと後悔しているが。

中にはパネルやビデオによる当時の説明や生存者の証言などが展示されていた。

94年といえばそれほど古い話ではない。カラー写真や映像でみる当時の資料にもそれを感じ取ることができた。

虐殺には銃やマチェーテと呼ばれる大型の刃物が使われており、生々しい傷を負った人々や道路を埋め尽くす死体の山など残虐な展示が多数あった。

目をそらしたくなるような写真も大量にあるが、起こった事実を受け止めるには重要なことだと個人的には思う。

民族を滅することを目的としているのでIDカードをチェックされ大人も老人も子供たちもみな殺された。

女性は強姦された後に殺され、生き残った後もHIVやPTSDなどの後遺症に悩まされている。

ルワンダは世界平均から見ると高い値のHIV蔓延率だが、この問題にも虐殺時に起こった強姦が深く関係している。

一般的にツチ族はフツ族よりも背が高い。「上から見下されるのが気に入らない」とツチ族を殺害する際に足を切り落として楽しんでいたものもいたそうだ。

そしてこれらの虐殺は昨日まで隣に住んでいた隣人や家族、親戚、友人間でも行われたのである。

当時のルワンダ人の識字率はおよそ50%程度だったらしい。

フツはツチよりも貧しかったので識字率はさらに低かったかも知れない。

そんな中で虐殺がこれほどまでに広がった理由には連日ラジオから流れるツチ族排除を促す放送が大きな役割を果たした。

ラジオから国民へ語りかける扇動者はツチ族を「ゴキブリ」と呼び、常に虐殺を煽っていった。

館内には殺害された家族や子供たちの写真や衣服、頭蓋骨まで大量に展示されていた。

笑顔で写っている子供たちの写真をみると何とも言えない気持ちになる。

博物館を後にして次はニャマタというところにある教会へ向かう。

バイタクでバスターミナルまで移動しそこからバスで40分ほどかけてニャマタまで。

ターミナルから徒歩で教会へ向かう。

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虐殺が起きた当時、ここニャマタの教会にはキリスト教の信者たちが助けを求めて集まってきた。

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ルワンダにはキリスト教徒が多いので、神の前で殺し合いは起きないだろうと考えた人や教会なら安全という言葉を信じた人達がここへ集まった。

しかしそれは間違いだった。

教会が安全との噂はフツ族が虐殺を行いやすくするためのデマであり、神は救ってはくれなかった。

1万人以上がここで殺されることとなった。

教会内には被害者たちの血で汚れた衣服が山のように積み重なっており重苦しい空気が流れていた。

地下には人骨も納められていた。

イスラム教徒は当時虐殺に加担しなかった人が多いというデータもあるようで、ルワンダでは虐殺のあとキリスト教からイスラム教へ改宗したという人も多いという。

日本にいるとイスラム教に悪いイメージを持つことも多いかもしれないが、やはり旅をしなければ感じ取れないことはあると思う。

旅をしていてムスリムの人たちは優しい人が多かったしな。

こちらの教会も撮影禁止なので写真はないが少しでも歴史を知ることが出来てよかった。

腹も減ったのでニャマタの町で昼食をとった。

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ルワンダではバイキング形式のレストランが多い。でもお代わりはできないルールなのだとか。程よい感じに盛り付ける。

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腹も満たされたところで再びバスでキガリまで戻りスーパーで食料を調達する。

ルワンダは買い物をすると紙袋に入れてもらえる。道路にも全然ゴミが落ちてないし徹底した環境への配慮は本当に素晴らしい。

宿へ戻ってビールを飲みながらいろいろ考える。

宿にネット環境があれば調べたいのだがここではそうもいかない…明日はちょいと調べ物をする日にしようかな。

8月15日

昨日博物館に行ったはいいが全部英語だしそんなに理解できなかったな。

ということでこの日は町の中心にあるカフェでWi-Fiを拾ってだらだらと過ごしました。

写真の整理したりブログ書いたり今後の予定を立てたりウィキ読みまくったり。

ルワンダはなんか居心地がいいからゆっくりすればいーや。

8月16日

今日は少し遠出をしてムランビ虐殺記念館へ向かう。

キガリのバスターミナルからまずはフイエまで。二時間ちょいで到着。

バスから見た田んぼがとても整っていて美しかった。

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そこからバスを乗り継いでニャマガベ、ニャマガベからバイタクでやっと博物館到着だ。所要4時間くらいかな?

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ここニャマガベの記念館にはムランビ一帯で行われた虐殺の様子や生存者の証言が展示されていた。

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そして人が全然いなかったからか受付の人がずっとガイドをしてくれた。ちょっと英語が難しかったが頑張って聞く。勉強不足で申し訳なかったです…

館内のテレビは節電のためか電源が消えていたので自分が行くたびにプロジェクターをつけてもらったりでこちらも申し訳なかった…ありがとうございます。

展示はキガリのものと似ていたが何度見ても考えさせられることは多い。昨日予習しておいたおかげでキガリより詳しく見学できたように思う。

この建物は元々学校の校舎であったようだ。

館内の展示を見終わると裏手にある、もとは教室であった建物に案内してくれた。

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ここには当時の被害者たちがそのまま石膏で固められ並べられている。

ほとんどミイラのようになっているが表情も読み取れるほどだ。

そして遺体の損傷部位からどのような最期を遂げたのかを想像できてしまう。

頭が割れている遺体。腕や足が潰されたような状態の遺体。顔が潰れた赤ん坊の遺体。

これらが並べられた教室の空気は非常に重く長い時間いることはとても出来なかった。

自分が見たのは5部屋ほどだけだったがほとんど全ての教室にこれらの遺体は並んでいる。

ガイドさんの話によると遺体は1000体以上、遺骨などを含めると5000体以上の方々がここに眠っているそうだ。

ルワンダは丘が多い国であると前も書いたが、この校舎も丘に囲まれている。

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自然豊かな美しい場所に見えるが、当時はこの丘のいたるところに殺人者が潜んでいたのだという。

そしてここはキガリからかなり遠く離れている。虐殺がいかに広い範囲で起こったのかも実感できたように思う。

ガイドさんにお礼を言い少しの寄付をしてから記念館を後にする。

ここにくるまでに乗ったバイタクの兄ちゃんが電話番号を教えてくれたのでガイドさんに頼んで電話をかけてもらうとすぐに来てくれた。

余分な賃金も要求してこなかったしむしろ博物館を訪れたことに感謝されたくらいだ。ルワンダ人は本当に気持ちのいい人が多い。

石膏で固められた遺体の展示は国内からも国外からも批判の声があがることも多いという。

たった二十数年前の出来事だ。展示されている遺体の親族だっているだろう。

自分にはこれが正しいかの判断は出来ないが、ここで見たことはこの先も考え続けたいと思う。

再びバスを乗り継いで夕方にキガリに戻ってきた。

適当に夕飯を済ませ就寝。

一日がかりになったけど訪れることが出来て本当によかった。そしてルワンダには是非とも多くの人に訪れて欲しいと強く願う。

8月17日

「ホテル・ルワンダ」という映画をご存じだろうか。

キガリでジェノサイドが起きた際に、自身が支配人を務めるホテルに行き場のない人々を匿い、1268人もの命を救うという実話を基にした映画だ。

まあ結構美化されているらしいけど欧米諸国や黒人差別についても考えさせられるとてもいい映画なのでぜひとも皆様にも見てもらいたい。

「ルワンダの涙」という映画も有名だがこっちはまだ見ていない。というかブックオフ探し回ってるけど見つからない…見つけたら買おうと思います。

この映画の舞台となった4つ星ホテル「ミル・コリン・ホテル」は今でも営業をしている。建物は当時と替わっているが。

高級ホテルなので自分のような貧乏人には縁がないが外観だけでも眺めに行ってきた。

宿から中心街へ。

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キガリ中心部の小高い丘の上に入口が。

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入り口にはスーツをビシッと着こなしたガードマンがいて駐車場には高級車がたくさん停まっていた。

中のバーでコーヒーでも飲もうと思っていたのだけど自分の小汚い恰好に気後れしてしまいました…

なんで外観だけ眺めて終わり。現地の様子が分かっただけでもまあ満足です。

明日の早朝にタンザニアへ向かいたいのでバスチケットを買わなくては。

ルワンダ人はいい人が多いがターミナルは流石にめんどくさいやつも多少はいる。勝手についてきて案内料を取ろうとしたり。

でも無事にチケットをゲット。

今日の朝は適当なローカル飯を食べた。

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このバナナが完全にじゃがいもの味でびっくり。塩をかけて食べるとほっくほくでうまい。

その後は町をぶらぶら。中心街はやはり都会だ。

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ルワンダも最後だしと再び中華料理屋へ。

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ビールをいただきながら屋上からのいい景色を眺めまったりと過ごす。

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明日は早起きしてタンザニアへ。ルワンダに来れて本当によかった。

ということでルワンダ滞在記でした。

未だに「ルワンダの涙」を観れていない。日記を読み返していたら観たくなった。

そのうち買おう。

2021年6月14日 tomoyoshi fukatsu

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