チェルノブイリを訪れて
2017年5月27日 ウクライナ・キエフより
チェルノブイリといえば知らない人はいないであろう。1986年4月26日に原発事故が起き、現在でも放射能汚染の続いている負の遺産である。
危険地域なので基本的には立ち入り禁止であるが、なんと一部地域はツアーで訪れることが出来る。ウクライナまでやってきたのはこのツアーに参加したかったからといっても過言ではない。
ということで一週間ほど前に英語のサイトからツアーを申し込み、とうとう出発日がやってきた。
ちなみにツアー代金は79ドル、ガイガーカウンターのレンタルも行っており借りる場合はプラスで10ドル、そして保険料が10ドルだった(2017年5月時点)。せっかくなのでカウンターもレンタルすることにした。日本語でツアーの検索をするとなかなか高額なものしかヒットしないが英語で調べれば現地ツアーの情報もたくさん出てくるので参考にしていただければ。というか現地でも多くのツアー会社が扱っているので向こうで探すのもアリな気がする。
79ドルのツアーというと安く感じるかもしれないがウクライナは物価が安いのでこれはかなり高額である。どのくらいの物価かというと自分の泊まった宿は一泊500円、地下鉄は一回16円、食事も200円ほどで十分にとれる(2017年5月時点)。まあこれはバックパッカー基準なので普通にいけばもっとかかるかも知れませんが…
朝早くに起き上がり宿を出る。泊まっていた安宿からキエフ中心街の集合場所までは2㎞程離れていたので早めに出た。
集合場所の広場にはめっちゃ人がいたので一発でわかった。こんな人気のツアーだとは…
受付を済ませ手に保険料を支払った証明であるリストバンドをつけてガイガーカウンターを受け取る。
自分はレンタルしたけどあんま借りている人はいなかったな。
せっかくなのでキエフの線量を測る。ここは0.18μ㏜だった。
ちなみに福島の郡山が0.1μ㏜くらいらしい(2017年5月時点)。
そして人間は7㏜=700万μ㏜浴びると死に至るらしいです。
このツアーでは日本人の方にも出会った。
一人はパリ在住で長期の休みを利用してヨーロッパ旅行中の方。やはり海外企業のバカンス制度はよいな。日本人は働きすぎや。もう一人はトルコでトルコ語を勉強中の大学院生だ。国際的な人ばっかですなあ。
トルコ語の彼とはバスが一緒だったのでツアーを一緒に見て回った。
チェルノブイリ原発はここから北へ130㎞程行ったところにある。
キエフを出発したバスは2時間くらいで途中のチェックポイントに着いた。線量は0.14μ㏜。市内と変わらない。
原発を訪れるにはパスポートコントロールを通る必要がある。といってもスタンプなどはなくちらっと目を通すだけだったけど。
ここには展示パネルも設置してあった。
バスはここから少し走りまずは昼食ポイントへ。
このツアーは昼食込みだ。流石高額ツアーなだけのことはある。
ガイドさん曰く「チェルノブイリの三ツ星ホテル」の駐車場へバスを停め「チェルノブイリの三ツ星レストラン」へ。
三ツ星レストランというには外観はあれかも知れないがまあガイドさんがそういうならそうなのだろう…中は小奇麗なプレハブって感じでした。
食事前は放射線汚染のこともあり手洗いを勧められたがやはり大事なのだろう。あんまりこういうことを海外で言われるのは珍しいからな。
料理はスープから始まりサラダとでかいチキンステーキもついていてなかなか豪華だった。そしてうまかった。流石高額ツアーなだけのことはある(二回目)。
昼食を終えいよいよ原発周辺をまわる。
バスの車内から説明を受けながらモニュメントを見る。事故当日に原発の火災を止めた地元の消防士たちを称える像。
外に降りてこの像を見学している人達もいたからツアーによって内容が違うのかもしれない。(チェルノブイリツアーを催行しているツアー会社はいくつかあるので)
その後バスは廃墟となった幼稚園へ。
下りる前に「土壌は線量が高いから靴に土がつかないよう気を付けるように」「持参した飲み物は外では飲まないように」と注意を受ける。ここがいまだに汚染された土地であることを再認識させられる。
ガイドさんがガイガーカウンターで空気中の線量を見せる。自分も測ってみたらここでは0.22μ㏜だった。
しかし少し移動して木の近くに行ったら急に1.5μ㏜へ。ほんのわずかな距離なのに…恐ろしすぎる。
さらに地面に近づけると鳴り響く警告音。
一気に数値があがり8μ㏜を越えてきた。
土壌汚染は時間がたっても消えないというのは本当なのだな…
道には人形やらが落ちていた。
室内は完全に廃墟となり朽ち果てている。
時間内なら自由に行動できるのでいろんなものにも自由に触れるようだった。あまり触る気にはならなかったが…
人形や本なんかはほかのツアー客によって意図的にディスプレイされているのだろう。
ここでの線量は0.30μ㏜。建物に入ると下がるようだ。
30分ほどの自由時間を終えバスは次の場所へ向かう。
この場所では現在の発電所4号機がしっかりと見渡せた。
左側を覆っているシェルターは去年(2016年)に完成したそうで本当につい最近取り付けられたそうだ。
つまりもうちょい前にツアーに参加した人は四号機の内部をもっとしっかり見れたということですね…ちょっと残念だったな。
ここでの線量は0.73μ㏜。結構近い位置にいるもののそれほど高くない。
バスはさらに近づいていく。
そして川の近くに停車。
橋の上から川を覗くと巨大化したナマズがいた。ちなみにこの川の水は冷却水だそう。
放射線による染色体異常とも言われているがただ単に外敵がいないだけとも言われている。話には聞いたことあったけど本当にいるんだな…しかも名前も付けられていた。忘れたけど。
ガイドさん曰く見れない日もあるそうなので今日は運がよかったとのこと。
ここから更に原発に近づいていきとうとう目の前まで来た。
こんな近くまで来ると思っていなかったから少しビビる。本当に大丈夫なのか?
しかし線量を測ってみると1.23μ㏜。空気中の汚染は本当に消えつつあることを実感した。
原発を後にして次はプリピャチという地図から消えた村へ向かう。原発稼働当時に職員や研究者、家族が住んでいた村だ。
入口には看板が立っていた。線量は1.57μ㏜。
しかし地面に近づけると6.32μ㏜まで上がり響く警告音。土壌汚染は本当に深刻だ。
事故が起こった当時この辺りの森は放射線によってオレンジ色に染まったらしい。
現在は緑が青々としていて普通の林の様だったが見た目だけではわからないものだ…
もとは村の中心広場であったところではガイドさんがタブレットで当時の写真を見せてくれて色々と比べながら見学できた。
ここでの線量は1.83μ㏜だった。
廃墟の中を歩いていく。
当時のものがそのまま残っており時が止まっているかのようだ。
進んでいくとゴーカートの跡が見えてきた。
そして錆びついた観覧車が姿を現す。線量は0.90μ㏜。
チェルノブイリといえばこの遊園地跡は有名であろう。
自分がずっと見たいと思っていたものでもある。
こういっては不謹慎かも知れないがずっと訪れたいと思っていた観覧車のある風景を見れたことには感動してしまった。
この辺りにはスタジアムもあった。
どこからフィールドなのかわからないほど荒れ果ててはいたが観客席へ上がると少しではあるが当時の姿が想像できた。
この辺りは今では動物の楽園にもなっている。
イノシシや狼、ヘラジカまで生息しているらしい。
自分は野良犬くらいしか見かけなかったが。
そこから今度は学校跡を歩く。
ここもだが建物内は荒れ果てている。線量は0.57μ㏜。
教室の一室には大量のガスマスクが敷き詰められており異様な光景だった。
二階や三階も自由に歩き回れたが崩れそうなところもたくさんあってこんなに自由な感じで散策していいのか少し心配になった。海外のツアーあるある。
本当にどこでも自由に見ることが出来る。そしてどこも見所がたくさんある。時間が許すのならすべての場所を見てみたかった。
学校の他に当時の人たちが住んでいたマンションにも入れた。
一人でツアーに来ていたお姉さんが薄暗いマンションに一人で入るのが怖いって言って後ろからついてきたのが可愛かったです。
マンションは10階建てくらいでボロボロの階段を上りながら屋上にもあがることが出来た。
地上を歩いていると木ばっかりでよくわからなかったが、上から眺めると思ったよりたくさんの建物が見えて、ここがどんな村だったのかの全貌を知ることが出来た。
学校の隣には体育館やプールの跡も。
高飛び込みの台もあり立派な施設だったのに…
一通りの見学を終えバスへ戻る。
ここの移動では当時のプリピャチの様子を映したビデオが上映された。
多くの人で賑わっている広場や施設…
さっきまで自分が歩いた場所と同じところだとは信じられなかった。
ツアーはこれで終わりだと思っていたが最後にもう一つ寄るらしい。
バスを降り、少し歩くと超巨大な構造物が姿を現す。
これは冷戦時代に造られたアメリカのミサイルや人工衛星を補足するためのレーダー施設だそうだ。
しかし本当にデカすぎる…見上げると首が痛くなるくらいだ。
こんな巨大な施設を見ながら当時のことを考えると戦争というものをあらためて考えさせらる。
バスは再び最初に通ったチェックポイントへ向かう。
ここでは全員が放射線量のチェックを受ける。服やバックに付着していたら大変だからね。
無事通過してバスでキエフまで戻る。到着したころにはあたりは暗くなっていた。
せっかくなので一緒のバスだった青年とご飯へ。
安いからと寿司とかピザとかをちょいと良いレストランで二軒はしごして豪遊してしまった。
その後少し夜景を撮ったりして宿へ戻る。
多くのことを学べた有意義な一日だった。
日本は原爆や福島のこともあり原子力や放射能には関係の深い国である。
それは負の側面が大きく、もちろんいいことではないのだがそのこともあり自分は日本人としてここを訪れたいと強く思っていた。
今回実際に現地で色々なことを見学できたことはとても良い経験になった。
今はコロナで海外はおろか国内も旅行しづらい状況ではあるが、いつか収束し自由に世界中行ける様になったならば是非とも皆様にも訪れてほしい。
2020年11月29日 tomoyoshi fukatsu