【ダークツーリズム】一度は訪れたい負の世界遺産を一覧で解説!戦争・虐殺・差別を学ぶ

世界には多くの美しい建築物や遺産がありますが、なかには戦争・虐殺・差別・原発事故など、人類が経験した悲劇の歴史を伝えるものも存在します。これらは一般的に「負の世界遺産」「負の遺産」などと呼ばれ、観光名所としてだけではなく二度と同じ過ちを繰り返さないための教訓として保護されてきました。
本記事では日本を含め世界中に存在する「負の遺産」についてわかりやすく解説し、ぜひ訪れてほしい代表的な有名場所やその意義について詳しく紹介します。
「負の世界遺産」「負の遺産」とは?定義と意味を簡単に解説

「負の世界遺産」「負の遺産」とは、戦争・虐殺・差別・事故・環境破壊など、人類が過去に犯した悲惨なできごとを今に伝える場所や建造物のことです。
これらはユネスコが公式に定めている呼び方ではないため明確な定義や登録基準はありませんが、特に世界遺産登録基準に合致しているものに関しては「負の世界遺産」と呼ばれることが多いようです。
近年、負の遺産を訪れることは「ダークツーリズム」として注目されており、歴史を学ぶ重要な観光資源となっています。負の遺産は多くの施設が一般公開されており、過去の悲劇を知り人類が同じ過ちを繰り返さないための学びの場として活用されています。
一度は訪れたい有名な「負の世界遺産」3選
まずは「世界三大負の世界遺産」とも呼ばれる、特に有名な3ヶ所について詳しく見ていきましょう。
アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(ポーランド):ホロコーストの歴史を伝える博物館

『アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所』は第二次世界大戦中にナチス・ドイツが設けた最大規模の強制収容所です。
アドルフ・ヒトラー率いるナチスがドイツ国内や占領地で行った大量虐殺政策「ホロコースト」を象徴する場所として知られ、ここではユダヤ人を中心に100万人以上が犠牲になりました。
今は一部の施設が「アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館」として一般公開されており、当時使用された建物や遺品、写真資料などを通じてホロコーストの実態を学べます。
<訪問記はこちら>
ゴレ島(セネガル):奴隷貿易の拠点

出典:photoAC
セネガル共和国の首都ダカールの沖合から約3kmの位置に浮かぶ『ゴレ島』は、15~19世紀にかけて奴隷貿易の拠点として機能していた島です。
島の東岸には奴隷たちが船に積み込まれるまで待機させられた「奴隷の家」が残り、狭く暗い部屋や「二度と帰れない扉」と呼ばれる出口を見学できます。
奴隷貿易の悲劇を伝える負の遺産として保存されており、訪れる人々に人権や自由の尊さを強く訴えかけています。
原爆ドーム(日本):核兵器の恐ろしさを伝える遺構

広島県にある『原爆ドーム』は、1945年8月6日に投下された原子爆弾によって一瞬にして廃墟となった建物です。
かつては「広島県産業奨励館」として利用されていましたが、原爆の被害により外壁だけを残して焼け落ちてしまいました。1996年にユネスコ世界遺産へ登録され、核兵器の惨禍を象徴する負の遺産として世界中から多くの人々が訪れています。
近くの「広島平和記念資料館」では被爆者の証言や資料などが展示されており、戦争の悲惨さや核廃絶の必要性を学べます。
有名な「負の世界遺産」一覧
次に、ユネスコの世界遺産に登録されている有名な「負の世界遺産」を一覧でまとめてご紹介します。
ザンジバル島のストーン・タウン(タンザニア)

タンザニアにあるザンジバル島の旧市街『ストーン・タウン』は、アラブやインド、ヨーロッパの文化が交わる美しい街並みを持ちながら、かつて東アフリカ最大の奴隷貿易拠点として栄えた場所です。
19世紀まで多くの人々がここで売買され、過酷な運命をたどりました。現在は観光地として整備されていますが、島内には奴隷市場跡地や地下牢が残り、当時の悲惨な状況を今に伝えています。
ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ)
ガーナ南部に点在する『ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群』は、イギリスやオランダをはじめとするヨーロッパ諸国がかつて建造した西洋式の要塞群です。奴隷貿易に使われており、かつては60以上の要塞がありましたが現在は3分の1ほどが残っています。
城塞は沿岸部にかけて広く点在しており、今も残る石造りの城壁や地下牢がかつての負の歴史を物語っています。ここでは数え切れないほどのアフリカの人々が鎖につながれ、過酷な航海へ送り出されました。
カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群 (コロンビア)

出典:photoAC
コロンビアの港町にある『カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群』は、16世紀以降にスペインの植民地支配の拠点として築かれた美しい建造物群です。
堅牢な要塞や城壁は外敵からの防御だけでなく、アフリカから連行された奴隷の受け入れ港としての役割も担っていました。特に1542年にアメリカ先住民の奴隷化が禁止されてからは、南米のプランテーションや鉱山の労働力として連れてこられた黒人奴隷の受け入れ港として機能していました。
かつては新大陸最大級の奴隷市場のひとつであり、多くの人々が過酷な環境で苦しみを強いられた歴史を持っています。
ポトシ市街(ボリビア)

出典:photoAC
ボリビア南部に位置する「ポトシ市街」は、16世紀にスペインによって開発された銀鉱山の町です。
スペイン統治時代に金や銀を多く産出する鉱山が開発されたことで一時は20万人を超える人口を誇っていましたが、繁栄のためにインディオやアフリカから奴隷が強制的に集められ、過酷な労働によって多くの命が奪われました。その数は800万人以上ともいわれ、人類史に残る搾取の象徴とされています。
トリニダとロス・インヘニオス渓谷(キューバ)

出典:photoAC
キューバ中部に位置する『トリニダとロス・インヘニオス渓谷』は、18〜19世紀に砂糖産業で栄えた地域です。
この一帯にはかつて広大なサトウキビ農場があり、黒人奴隷たちが生産活動を行っていました。今でもロス・インヘニオス渓谷には、当時使用されていた製糖工場跡や奴隷を監視するための見張り塔などが残されています。
ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的建造物群(ロシア)
『ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的建造物群』は、ロシア北部の白海に浮かぶ6つの島で構成されるソロヴェツキー諸島にある建造物です。
もとは15世紀に修道院として築かれた建物でしたが、20世紀初頭に起きた「ロシア十月革命」のあと、ソビエト連邦最初の強制収容所となりました。多くの人々が過酷な労働と弾圧に苦しみ、飢餓や伝染病、看守の暴力などによって何万人もの囚人がここで死亡しました。
ロベン島(南アフリカ共和国)

出典:photoAC
南アフリカの『ロベン島』は、ケープタウンから約12km沖合にある島です。
反アパルトヘイト運動の活動家たちを政治犯として収容する刑務所が設置されており、アパルトヘイトの撤廃に生涯を捧げたネルソン・マンデラをはじめとした多くの反政府活動家が投獄されていました。
現在は元刑務所の建物が博物館として整備され、人種差別と闘った人々の歴史を学べます。
モスタル旧市街の古い橋の地区(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

出典:photoAC
ボスニア・ヘルツェゴビナの『モスタル旧市街の古い橋の地区』は、16世紀に建設された美しい石造アーチ橋「スタリ・モスト」を中心とする歴史地区です。
スタリ・モストはモスタル旧市街の象徴でもありましたが、1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で破壊され、街の多くの建物も戦火で失われました。
その後、1995年に民族間紛争が終結すると橋の再建工事が始まり、2004年にスタリ・モストは再建。現在は多民族・多文化の共生や和解の象徴として負の歴史を伝えています。
ル・モーンの文化的景観(モーリシャス)

出典:photoAC
モーリシャスの南西端に位置する半島には、標高556mのル・モーン山がそびえたっています。この地は19世紀頃に逃亡した奴隷たちが隠れていた場所で、彼らが洞窟などに作った集落が現在も残っています。
また、モーリシャスで奴隷制が廃止された際に警官隊が自由になった旨を伝えに来たときに、警官の来訪理由を誤解した奴隷たちがル・モーン山から飛び降りて亡くなったという悲しいエピソードも伝わっています。
バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(アフガニスタン)
現在のアフガニスタンに古代から存続する都市バーミヤンの近郊では、1~13世紀にかけて多くの石窟仏教寺院が開削されました。その数は1,000以上にのぼり、巨大な大仏や東西の文化が融合した貴重な遺跡が残されていました。
しかし、アフガン紛争によって遺跡は大きな被害を受け、多くの文化遺産が破壊されてしまいました。2001年には当時のアフガニスタンを支配していたタリバン政権によって、2体の巨大石仏や石窟の壁面に描かれた仏教画のおよそ8割が失われたと報告されています。戦争による文化破壊を象徴する負の遺産として知られています。
ビキニ環礁の核実験場跡(マーシャル諸島)
マーシャル諸島の『ビキニ環礁の核実験場跡』は、1946年から1958年にかけてアメリカが核実験を行った場所です。
核実験は計23回行われ、原住民の強制移住や放射能による環境汚染・被爆問題、生態系への影響など多くの問題を引き起こしました。
オーストラリアの囚人遺跡群(オーストラリア)

出典:photoAC
『オーストラリアの囚人遺跡群』は、18~19世紀にかけてイギリスの流刑植民地として築かれた刑務所や関連施設の跡地です。
この時期はイギリスにおける奴隷制が廃止された時期と重なり、囚人たちはシドニーやタスマニアなどに点在するこれらの建造物で労働を強いられていました。また、オーストラリアの先住民アボリジニの多くもこれらの収容所に強制移住させられました。
アボリジニについては、入植者たちがスポーツハンティングを行い虐殺したという残酷な記録も残っています。
暗い歴史を知るうえで訪れたい「負の遺産」4選
世界遺産には登録されていなくても、ぜひ訪れておきたい負の遺産は他にも数多く存在しています。ここでは筆者が実際に訪れたおすすめの場所を4ヶ所厳選してご紹介します。
チェルノブイリ原子力発電所(ウクライナ)

ウクライナの「チェルノブイリ原子力発電所」は、1986年に世界最悪級の原子力事故が発生した場所です。
爆発により大量の放射性物質が放出され、周辺地域は立ち入り禁止となり、多くの住民が避難を余儀なくされました。以前までは廃墟となった発電所や町並みをツアーで見学できましたが、2025年現在は戦争の影響で一般の観光は難しくなっています。
<訪問記はこちら>
キガリ虐殺記念館(ルワンダ)

ルワンダの首都キガリにある『キガリ虐殺記念館』は、1994年に起きたルワンダ虐殺の悲劇を伝える施設です。
約100日間で80万人以上が命を奪われ、家族や隣人が互いに殺し合う惨状が広がりました。記念館には犠牲者の写真や遺品、証言映像が展示されており、訪れる人に民族対立の悲劇の現実を伝えています。
<訪問記はこちら>
キリング・フィールド(カンボジア)

カンボジアの『キリング・フィールド』は、1975〜1979年に起きたポル・ポト政権下の虐殺の現場として知られています。
犠牲者は100~200万人とも推計されており、当時の人口約800万人のうち4人に1人は虐殺の被害にあったとされています。特に知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などがターゲットとなり、遺体はこの地に無造作に埋められました。キリング・フィールドでは記念碑や遺骨などが展示され、訪れる人々に当時の悲惨な状況を訴えかけています。
また、首都プノンペンには当時の強制収容所が「トゥールスレン虐殺博物館」として残されており、拷問や虐殺が行われた生々しい惨状の歴史を見学できます。
福島第一原発周辺(日本)

福島県の『福島第一原子力発電所周辺』は、2011年の東日本大震災による津波で原子炉が事故を起こし、放射性物質が広範囲に拡散した地域です。
周辺住民は避難を余儀なくされ、今も立ち入り制限区域が残っています。事故の影響で町や自然環境は大きな被害を受け、復興には長い年月がかかることになりました。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」「東京電力廃炉資料館」「震災遺構・浪江町立請戸小学校」などでは、事故の概要や被害の状況を詳しく見学できます。
負の遺産には重要な意義があるがデメリットも

冒頭で述べたように、「負の世界遺産」や「負の遺産」は実際に起きた悲惨なできごとを将来に伝える重要な役割を担っています。
しかし、負の遺産が存在することには以下のようなデメリットも指摘されています。
- 過去の悲劇を公に語り継ぐことで、被害者や遺族が苦痛を思い出すことがある
- 「ダークツーリズム」のような商業的観光化によって悲劇を軽視されるリスクがある
- 周辺地域が危険な場所、暗い場所といった暗い印象を持たれやすくなる
- 古い建造物や放射能汚染地域などでは、高額な維持管理費が必要となる場合がある
- 過去の戦争責任や加害・被害の記憶をめぐって国や地域間で認識の違いがあり、保存や展示のあり方が国際問題に発展する場合がある
負の遺産については残されていることが当たり前だと感じずに、その背景やリスクまで理解したうえで訪問したいですね。
負の遺産を訪れる際の注意点
負の遺産は観光地であると同時に、多くの犠牲者を悼む場でもあります。訪れる際は以下の点に注意しましょう。
- 訪れる際には静粛な態度を心がけ、敬意を持って訪問する
- 軽率な写真撮影やSNSでの不適切な投稿は避ける
- 不適切な服装や持ち物は避ける
- なるべく展示や案内文をしっかり読み、歴史的背景を理解するよう努める
ガイドツアーやオーディオガイドがある場合、利用するとより理解が深まります。日本語対応のところも多いので、訪問時にはぜひチェックしてみてください。「珍しい場所を見に行く」という感覚だけではなく、学びの姿勢を忘れないようにしましょう。
実際に負の遺産を訪れた感想
筆者がこの中で訪れたのは以下の場所です。
- アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所
- ストーンタウン
- 原爆ドーム
- オーストラリアの囚人遺跡群(一部)
- チェルノブイリ原子力発電所
- キガリ虐殺記念館
- キリング・フィールド
- 福島第一原発周辺
実際に負の遺産を訪れると、写真やネットの情報では伝わりきらない「重さ」のようなものを肌で感じました。特に虐殺や拷問があった場所が圧迫感がすごく、その場にいるのが辛いほどでした。現地の空気に触れられたことは自分にとって非常に貴重な経験となりました。
ウクライナやウイグルなど、現在も負の歴史が生み出されて続けている場所は世界中にありますが、負の遺産を通じて平和について考える人が増えてほしいと切に願います。
負の遺産は人類にとっての大切な教訓
「負の遺産」は人類が残した暗い歴史を伝える世界遺産であり、悲劇を繰り返さないための大切な教訓です。
現在では観光地としての側面が強くなっている場所もありますが、単なる観光としてだけではなく、歴史を受け止め未来の社会にどう活かすかを考える姿勢で訪問することが重要だと思います。この記事を読んで、負の遺産に興味を持ってくれる方が増えたらうれしいです。


