アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所
2017年5月20日 ポーランド・クラクフより
アウシュビッツ。ホロコースト。
第二次世界大戦時にナチスドイツが推進した人種差別による絶滅政策。
世界を旅するなら絶対に訪れなくてはならないと思っていた場所だ。
自分がアウシュビッツについて初めて知ったのはおそらく学校の歴史の授業だったと思う。
しかし当時はそれほど印象に残っていたわけではない。教科書の一ページとして読んでいただけだ。
15年ほど前に「life is beautiful」という映画を観た。
ユダヤ系イタリア人の主人公がホロコーストによって収容所に送られてしまうが、最後まで愛する息子のために奮闘するという物語だ。
どんな時でも明るさを忘れない主人公に感動し、ホロコーストについて興味を持つきっかけになったように思う。
ホロコーストを扱った映画としては、おそらく「シンドラーのリスト」がもっとも有名であろう。
ドイツ人実業家のオスカー・シンドラーが自身の経営する工場の労働力として多くのユダヤ人を救ったという史実を描いた映画だ。
「シンドラーのリスト」については旅に出る少し前に観た。アウシュビッツは絶対に訪れるだろうし観ておかねば、と視聴した記憶がある。
映画を観た後はネットで色々な情報を読み耽った。なので少しではあるがここでどんなことが行われてきたかはわかっているつもりだった。
しかし今回、現地を訪れて感じた空気はネットや映画の情報から得られるものの比ではなかった。
クラクフからバスに乗りアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所跡のあるオシフィエンチムへ向かう。
クラクフからは70~80キロほど離れており二時間ほどかかった。
公式ツアーを予約するつもりだったが満席で予約できず、クラクフからの現地ツアーを利用した。
往復のバスの手配を考えなくてよい上に、行きのバスではホロコーストの歴史についてのビデオも上映されたのでこのツアーを選んで良かったと思う。
現地に到着してスペイン語と英語のグループに分かれる。
説明を聞くためのヘッドホンを受け取り、ガイドツアーが始まる。
まずは門をくぐる。頭上には「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」の文字が。
収容所跡にはいくつもの棟が残っており棟によってさまざまな資料が展示されていた。
頭を刈られ囚人服を着せられた人々の写真が壁一面に飾られている棟には息が詰まる思いがした。
多くの人々の視線が突き刺さってくるようで写真を直視できないほどだ。この写真も自分のような観光客が気軽に撮ってよいものなのかと本当に迷った。
有刺鉄線にドクロのマーク。当時はここに高圧電流が流れていた。
「死の壁」
逃亡者や収容所内でのレジスタンス活動を行った者、多くの被収容者がこの壁の前で銃殺された。
「死の選別」
オシフィエンチム駅で降ろされた人々は労働者や人体実験の検体、価値なし等のグループに分けられた。
価値なしと判断された被収容者はガス室などで処分となる。その多くが女性、子供、老人だった。
ここに明確なルールは存在せず、担当者の裁量ひとつで選別が行われた。
使用された大量のガス缶。
収容者の所持品や財産は全て没収される。名前の入ったカバンやおびただしい数の靴も展示してあった。
中でも刈られた髪の毛が大量に積み上げられている様には胸が締め付けられる思いだった。撮影禁止だったので写真はありませんが。
見せしめとしての鞭打ちや絞首刑も日常的に行われていた。ここでの命の価値は本当に軽い。
絶望のあまり自ら高圧電流の流れる鉄条網に触れるものもいたという。
そして「ガス室」
日々送られてくる被収容者を効率的に殺害するための施設である。
人が人を「効率的」に殺害する。想像したくもないほどおぞましいことだ。
死体はすぐ隣の焼却炉で焼かれた。この作業を行うのも被収容者である。彼らはどんな気持ちで作業をしていたのだろうか。
アウシュビッツ収容所跡での見学を終え、バスはビルケナウ収容所跡へ向かう。
アウシュビッツからは少し離れたところにあり、よく見かける門とレールのある写真はビルケナウのものである。
アウシュビッツだけでは収容しきれなくなったために新たに建てられたそうだ。
こちらも有刺鉄線が張り巡らされている。
証拠隠滅のため破壊されたガス室。原型を留めていない。
女性専用の監房はレンガに木でできたベッドが備え付けられているだけの粗末なつくりだった。
夏は37度、冬は-20度を下回ると言われるこの地域。
劣悪な衛生環境の中で満足な食事もできずに、隙間風に吹かれる収容所での生活はどんなに過酷だったことだろう。
帰りのバスでは隣に座ったオランダ人男性と少し感想を語り合った。
彼はここでヨーゼフ・メンゲレに関する本を購入していた。
ヨーゼフ・メンゲレは「死の天使」と呼ばれアウシュビッツで人体実験を行っていた医師である。
双子に異常な執着を示し、選別の時点で双子がいたら自分のところに連れてくるように指示を出していたそうだ。
手術によって人工的に結合双生児を作り出したり、目の中へ化学薬品を注入して瞳の色を変更する実験をしたりと非人道的な実験を大量に行っていた。
もちろんほぼ全ての被験者が死亡している。
自分が日本から来たことを伝えると、彼は広島を訪れたということも話してくれた。
またカンボジアのキリングフィールドやトゥールスレンにも行ったとのこと。自分もここは訪れたがアウシュヴィッツ同様多くのことを考えさせられた。
「負の遺産を実際に訪れて色々と考えることが大切だと思う」というようなこと話していたがこれは本当にそう思う。
現地を訪れないと感じられない空気は確実に存在する。もっと多くの人にここを訪れてほしいと強く思う。
民族浄化や大量殺戮は現代でも起こっている問題である。
チベットを訪れた際に興味を持って調べたが中国では現在でもなお少数民族が滅ぼされかけている現状がある。
チベットやウイグル自治区の人々に対して、男性には断種を行い女性には無理やり漢民族との子を妊娠させ血を薄れさせていく。
チベット仏教の聖地ラサも今では漢民族の住民が多数だという話も聞いた。
自分が訪れようとして公安に止められたラルンガルゴンパという町も寺がどんどん破壊されていっているそうだ。
外国人は立ち入り禁止にし、インターネットには制限をかけているので情報が外に伝わりづらいのが現状だが。
そしてホロコーストで標的にされたユダヤ人たちが、現在でも続いているイスラエル・パレスチナ問題に関わってくる。
その流れは現代のテロ、移民、難民の問題にも繋がっているだろう。
世界は広い。宗教や人種も違えば文化も信仰も違う。
「世界平和」と簡単に口にはするがその本質は果たして何なのか。深く考えさせられる一日だった。
2020年12月13日 tomoyoshi fukatsu